蛇口から流れ落ちる水音をトリガーとして瓶から脱走したナメクジの行方

姉が届けてくれたキャベツの外葉を剥いで洗っていたら,内側の白い結球した葉の中に小さなナメクジが縮こまっているのを見つけた.ナメクジに会うのは久しぶりだったので梅酒用の瓶を天袋から下ろし外葉を二枚入れてそこで飼うことにした.ナメクジは葉っぱの折り重なったややこしいところにいたのでつまみ出すのは難しそうに思えたが,指を伸ばすと黙ってその指に乗ってきたので思いの外簡単に移すことができた.とても小さな赤ちゃんナメクジと言ってよいくらいの幼いナメクジだった.ナメクジは結構リラックスしていて指から外すとすぐに体を伸ばして居心地のよさそうな位置に移動した.このナメクジは最初から与えられた環境になじんでいるように見えたのでフタはしなかった.

93058562_1820308731438251_4009976437586001920_o

キャベツの葉は日持ちがいいので2,3日放置しておいたが,ナメクジのいる辺りの葉っぱがしおれてきているのを見て,瓶を流しのところまで持ち出してキャベツの茎に届くまで少し水を張ってみた.翌朝みるとしおれかけていたキャベツはパリパリに戻り,巻き癖が付いていたところまでピンと張り切った状態になっていたが,ナメクジの姿が見当たらない.ナメクジは隠れるのが上手なのでどこかに隠れているのかと葉を捲くってあちこち探してみたがどうも本当にいなくなってしまったようだ.以前にも瓶に水を入れたことがきっかけになって飼っていたナメクジを逃してしまったことがある.ここから出てゆくのはよいがあの小さなナメクジがどうやって戸外の安全な場所まで分速30センチメートルの足でたどり着くことができるのだろう?

外に出るためにはまず.長い机の端まで移動しなくてはならない.そこから垂直に1メートルくらいを下って床に出たとしてもまっすぐ戸口まで向かうことができるのだろうか?確かに潜水艦の潜望鏡のような伸縮自在の便利な目玉を持ってはいるが,あのサイズでは室内の複雑な「地形」を俯瞰するのには大して役立たない.キッチンの壁の換気扇の穴を見つけることができたとしても,そこから地上までは5メートル以上のザラザラな壁面を垂直に下る必要がある.ドアの隙間をかいくぐって外に出たとしても地上に降りるためには長い鉄製の階段をさらに何段も降りなくてはならない…ここに居れば野菜だけは切らさず供給されるであろうこともうすうすは知っていたはずだ.なぜこのナメクジはその安逸な生活を捨てて危険に満ちた外界に向かうという「暴挙」をあえて決断し実行したのだろう?

ここで「決断」と言っているのは明らかにこの行動は計画的なものであったと認められるからだ.つまり,ナメクジはわたしが眠り付くのを待ってこの部屋を出ていったように思われる.「決断」したのはそれより前,おそらく蛇口から瓶に注がれる細い水道水のひそやかな水音を聴いた瞬間だったのではないかとわたしには思われる.ナメクジやカタツムリなど水から陸に上がった軟体動物にあっては雨音は心地よい天上の音楽だ.水音ないしそれに伴う水の匂いは彼らにとっては目眩く祭祀の表象であり生の歓喜そのものと言ってよい.その水音が彼の本能を呼び覚まし,自由への憧れに駆られて決行に至ったのだろう.『自由への脱出』それはこの小さなナメクジにとっても一生に一度の死物狂いの冒険だったに違いない.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA